《The Lady at the Bridge(橋姫)》 Her name was Bennokimi, and the Eighth Prince had her in constant attendance upon his daughters. Though in her late fifties, she was still favored with the graces of a considerably younger woman. Her tears flowing liberally, she told him of what an unhappy life "the young captain," Kashiwagi, had led, of how he had fallen ill and presently wasted away to nothing. It would have been a very affecting tale of long ago even if it had been about a stranger. Haunted and bewildered through the years, longing to know the facts of his birth, Kaoru had prayed that he might one day have a clear explanation. Was it in answer to his prayers that now, without warning, there had come a chance to hear of these old matters, as if in a sad dream?
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
自筆「源氏物語」の「橋姫(はしひめ)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。恋蛇愛蛇 西川満 峯梨花装画。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。馬術警策/露国陸軍少将・マホチーヌイ陸軍少将・高須治輔/明治18年/馬の外形・馬の取扱法・粗悪製の蹄鉄・内部疾病・外部疾病・騎馬行態度。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。御開港横濱之全図 玉蘭齋橋本謨識。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。蛮船入津 川上澄生。現在の今上天皇と系譜がつながっている。浅野梨郷歌幅 若草 浅野梨郷。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。宮本匡四郎版画集 裸婦感情 宮本匡四郎。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。馬場孤蝶画賛句短冊 一葉の… 馬場孤蝶。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。聖徳太子尊像幅 孝養立図。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。官員録 辰十二月五日改 官版。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。方角改正 五畿内掌覧 讀魚字書樓蔵。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。名古屋市西区最新地図 西区役所編刊。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。美濃国武儀郡高野村古文書 一括 岐阜県関市。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。恐怖! スパイ大作戦 中岡俊哉。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。口語詩集 赤い椿 星野水裏 川端龍子装幀。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。湊邦三草稿 簪と女と鴉 湊邦三。また、各巻ごとの書かれた年については不明。四部録抄 (黒色の表紙) 中野市右衛門新刊。従って、応永五年とは、書き始めの年である。文政武鑑 新板改正 全4冊 須原屋茂兵衛版。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。教王護国寺蔵伝真言院 両界曼荼羅 全2函 石元泰博。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。玉はばき 第1号。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。鎔造化育論 全3冊 佐藤信淵。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。歌集 改選 赤光 斎藤茂吉。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。環斎記聞 鎌田環斎。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。KEITOJOH 城景都。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。瀧井孝作句懐紙 颱風を… 瀧井孝作 署名捺印有り。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。一読一驚 妖怪府 加藤鉄太郎抄訳。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。山口誓子色紙 遷宮 山口誓子。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。改正御江戸図。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。新調韻文 青年唱歌集 全2冊 山田美妙 米僊・省亭木版口絵。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。大増補 法華経御鬮霊感籖 上中下三冊。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。六代目菊五郎伝 改訂版 浜村米蔵編。
出品した「源氏物語」は橋姫(はしひめ)の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。土地 武者小路実篤 岸田劉生装幀。橋姫の巻は、源氏の君と女三の御子、薫の君と今上天皇の皇子・匂宮、そして、朱雀院(前朱雀天皇)の弟・八の宮(朱雀天皇の皇太子)を父とする浮舟の恋物語を描いております。ギヨツツ ゲーテ著 森林太郎訳。大君と中の君の姉妹は、朱雀院(前朱雀天皇)の弟・八の宮(朱雀天皇の皇太子)を父とする。人間を彫る 関野版画五十年の集大成 関野凖一郎。八の宮の山籠りの留守中に宇治を訪れた薫の君は、有明の月の下で琴と琵琶を合奏する大君と中の君の二人の姫君の姿をかいま見る。幼年 詩集 丸山薫。その気品高い優雅に心ゆらいだ薫の君は応対に出た大君に交誼を申し出るが、代わりに応対に出た弁の君は柏木の乳母子であることを告げたうえ、柏木の遺言を伝えたいと申し出る。木口木版蔵書票集 博物図鑑 限50部 大内香峰。冬十月、宇治を訪れた薫の君に、大君と中の君の姉妹の後見の依頼を受け承諾した。大報父母恩重経鈔 亮典書。その明け方、薫の君は弁の君と対面し自分の出生の秘密を知る。紅 田村とし子(俊子)。その証拠の品である柏木の遺書を読み、自分の薫は出生の秘密を知る。雪に書く 表現叢書 10 佐藤惣之助。しかし、父柏木の顔を知らない。五味川純平草稿 歴史上の事実に対する困惑 五味川純平。だが、親であることは間違いない。九成宮醴泉銘 全8帖 加藤梅香肉筆臨書帖。こまやかな目に見えない愛情の交流を闇の中で手探りをするような心境。美濃城記。薫が老女弁の尼にあてた柏木の遺書を読むかびくさい反故の入った袋に入った柏木の遺書「小侍従の君へ」と上書きに記している。@1924年 張廉卿墨跡 唐本漢籍 検:碑帖 本拓本 墨拓 碑拓 碑刻石 法帖 魏碑 珂羅版 支那 書道 善本 篆刻 瓦当 印譜 王羲之 玻璃版 法書 石鼓。篆書印は、薫の君の実の父・柏木の乱れた文字にまだ見ぬ父をしのびつつ親の心情を理解する。西国紀聞・第六号/細島晴三/明治10年/西南戦争/和装本/賊将西郷隆盛より賊将谷干城へ書を贈れり依て士官囲を脱し南の関本営に持参せりと。薫の君は美しい大君に心を動かされ愛情が芽生えていく。富田常雄草稿 弁慶 611から613回 都の風 富田常雄。
原本自筆上部に「半是君詩半是書」(半ばこれ君の詩、半ばこれ君の書)という漢詩文の落款が押捺されている。絵図 (城郭図) 香川県 讃岐國 丸亀城 (レターパックライト発送)。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節である。塚本邦雄歌幅 雲雀童子の歌 塚本邦雄。薫は出生の秘密を知る。さようならCP 原一男構成。しかし、父柏木の顔を知らない。寛政・嘉永 水場の定 2枚で。だが、親であることは間違いない。与謝野寛短歌全集 特定本 別に遺稿歌集付き 与謝野寛。こまやかな目に見えない愛情の交流を闇の中で手探りをするような心境。Glp_362611 茶人大系譜 完 阿州棲霞陳人.著。薫が老女弁の尼にあてた柏木の遺書を読むかびくさい反故の入った袋に入った柏木の遺書「小侍従の君へ」と上書きに記している。軍事資料/戦時/1940年 検索:武器/日中戦争/日支事変/満洲帝国/日本軍/発砲/軍服/戦略/戦術/兵法/陸軍/上海戦役/支那/刺刀/槍械/兵士訓練。篆書印は、薫の君の実の父・柏木の乱れた文字にまだ見ぬ父をしのびつつ親の心情を理解したものとされている。猫の微笑 薄田泣菫。紫式部が「橋姫」を書くに際し、「白楽天」の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。仏学始祖 村上英俊 全3冊 瀧田貞治。詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。日本名探偵文庫21 大暗室 江戸川乱歩。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」橋姫(はしひめ)の巻》
「橋姫」の巻は英文で「The Eastern Cottage」と表記されます。豹の眼 探偵冒険 高垣眸。
《自筆上部の原本自筆上部に「半是君詩半是書」(半ばこれ君の詩、半ばこれ君の書)という漢詩文の落款が押捺されている。岡本一平書簡 岡本一平。
この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。食人島の恐怖 探偵冒険小説 南洋一郎。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。海豹と雲 北原白秋。)
「自筆原本」
自筆右下の上の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子と娘・幾千姫(玉映)の落款。武家必覧 殿居嚢 全2帖(武家故実) 訂書堂蔵版。
《自筆上部の原本自筆上部に「半是君詩半是書」(半ばこれ君の詩、半ばこれ君の書)
という漢詩文の落款が押捺されている。メガメ JAPON F・REGAMEY/メガメ。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。歌集 風雪 愛蔵本 吉井勇。》
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。木芽説 (茶道) 前田夏蔭。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。花押拾遺 全5冊 横山寛。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。窪田空穂歌幅 東山寺々に… 窪田空穂。
《「源氏物語」橋姫(はしひめ)の巻》
《「半是君詩半是書」(半ばこれ君の詩、半ばこれ君の書)
という漢詩文の落款が押捺されている。弓道伝書/弓術伝書/日置流・小笠原流・吉田流/和装本/昭和11年。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。伊勢軍記 神戸外記著。》
《宇治八の宮の物語》
《薫の君、姉妹を垣間見る》
《薫の君、大君と御簾を隔てゝ対面》
《薫の君、宇治へ手紙を書く》
《薫の君、匂宮(今上天皇の皇子)に宇治の姉妹を語る》
《十月初旬、薫の君、宇治へ赴く》
《薫の君、八の宮の娘たちの後見を承諾》
《姫君の御うしろも(後見)にて》・・・・さふらはせ給(たまふ)、
弁の君とそいひける。武功雑記・5冊/肥前平戸藩4代藩主松浦鎮信が記した戦話/諸士諸将の武勲を雑記したもので関ヶ原の戦や大坂の陣などについて詳しい/明治36年。年も六十にすこし足らぬほとなれと、
みやひかにゆゑあるけはひして、ものなと聞こゆ。改訂 新刻大坂詳細全図 伊藤頴男編。
故権大納言の君の、世とゝもにものを思ひつゝ、やまひつき、
はかなくなりたまひにしありさまを、聞こえ出て、泣くこと限りなし。坪内逍遥書幅 A 坪内逍遥。
「けに、よその人の上と聞かむたに、あはれなるへき古事ともを、
まして、年ころおほつかなく、ゆかしう、いかなりけむことの
初めにかと、仏にも、このことをさたかに知らせたまへと、
念しつる験にや、かく夢のやうにあはれなる昔語りを
おほえぬついてに聞きつけつらむ」
とおほ(思)すに、・・・・《なみた(涙)とゝめかたかりけり。長谷川かな女色紙 女正月 長谷川かな女。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。早春詩抄 島崎藤村/畦地梅太郎木活字工作。
《「源氏物語」橋姫(はしひめ)の巻》
《桐壺天皇の皇太子・八の宮の二人の姫君(大君と中の君)と薫の君(女三の宮の子)の恋物語・自筆「源氏物語」橋姫》
《八の宮(桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子)姫君(大君と中の君を養育)》
《国宝・橋姫の元になる原文・薫の君、大君と中の君の合奏を聴く》
《桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮の娘・大君と中の君の合奏後、薫の君老女房の昔語りを聞く》
《薫の君、弁の君の話(薫の君の出生の秘密を知る)に関心をいだき再開を約す》
《薫の君、桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮と対面、大君と中の君の後見を託される》
《薫の君、弁の君と対面、実父・柏木の手紙を託される》
《さて、その夜明け方の、八の宮(桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮)が
お勤行(つとめ)をなさる間に、中将(薫の君)は、
あの老人(おいびと)の弁の君をお呼び出しになりお会いになる。武門要鑑抄 全3冊他 上杉謙信伝。
この老人は、姫君(大君と中の君)の御後見として》・・・・仕えさせていらっしゃる
弁の君(女三の宮の侍従の従姉妹で柏木に仕えたの弁の君)という者であった。和泉名所図会 全4冊 秋里籬島撰。
年も六十に少し足りないくらいであるけれど、都ふうに嗜(たしな)みのある感じがして、
なにかと中将(薫の君)にお話し申しあげる。改正 海外諸島図説 前集 斎藤寛他 柳川重信画。
弁(女三の宮の侍従の従姉妹で柏木に仕えた弁の君)は、故権大納言(柏木)の君が
ずっと物思いに悩みぬいて、そのために病(やまい)になってなくなっておしまいになった
始終を話し申して、どこまでも泣き続けている。都鄙新聞 第一号 至誠館編。
中将(薫の君)は、
(薫の君)「いかにも、他人の身の上話として聞いていてさえしみじみと悲しくなるに
ちがいない昔話であるのに、まして長年の間気にかかっていてその真相を知りたいと思っていました。大谷句仏短冊 水底に… 大谷句仏。
私の出生については疑問に思うところがありましたが、いったい事の起りはなんであったのかと、
仏にもその事情をはっきりお教えくださいとお祈りしていた、その験(しるし)であろうか。硝石製煉法 全 桜寧居士。
こうして夢のように心うたれる昔話を思いがけない機会に聞きつけることができたとは」
とお思いになると、・・・・《涙をとめることもできないのであった。勾田台嶺画額 風景画 勾田台嶺 まがただいれい。》
備考・
美しい大君と中の君の二人の姫君の父・八の宮は、桐壺天皇の皇子であり、朱雀天皇の弟で皇太子でもあった。尾張藩役名規式 (家中役付帳)。本来なら次期天皇と目されていたが政変により都を離れ宇治に住む。はつぞら (俳諧) 佳雄編。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。尾上柴舟短冊 裏山は… 尾上柴舟(八郎)。
《The Lady at the Bridge(橋姫)》
Her name was Bennokimi, and the Eighth Prince had her in
constant attendance upon his daughters.
Though in her late fifties, she was still favored with the
graces of a considerably younger woman.
Her tears flowing liberally, she told him of what an unhappy life
"the young captain,"
Kashiwagi, had led, of how he had fallen ill and presently
wasted away to nothing.
It would have been a very affecting tale of long ago
even if it had been about a stranger.
Haunted and bewildered through the years, longing to know the facts
of his birth, Kaoru had prayed that he might one day
have a clear explanation.
Was it in answer to his prayers that now, without warning,
there had come a chance to hear of these old matters, as if in a sad dream?
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《橋姫》
老侍女是服侍位女公子的,名叫弁君,
年将近六十,然而度雅,善于。鈴鹿野風呂句幅 吾亦紅 鈴鹿野風呂。
叙述已故柏木大言日夜愁,
以致一病不起之状,哭泣不已。新都市雑曲集 深紅の人 佐藤惣之助詩集 佐藤惣之助。薰君想道:
“此往事,即使是于他人的,听了也不感慨。小磯良平ブックワーク 特装本120部 小磯良平。
何况是我本人多年以来所望知道的。武家懐鑑 無刊記(江戸後期刊)。
我常向佛祈愿,欲明示当生何事情,
致使吾母出家尼。上村松篁 花香鳥鳴 上村松篁。想是佛力,
使我无意中得此机会,听到如梦一般可悲的故事。観経隠彰義 全3冊 信暁。”
他的眼泪就流个不住。随筆 茶烟亭燈逸伝 岩佐東一郎。后来道:“如此看来,
像一知道当年旧事的人,今世有。村上鬼城短冊 霜月の日ざし 村上鬼城。
但不知可又可耻的事,外有人播出去否?
多年以来,我全然不曾听到。欧州新話 谷間之鶯 セルバント/齋藤良恭。”弁君答道:
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
注記・中国語の文字の一部がシステムの関係で反映されない場合があります。尾張国輿地全図 高柴三雄誌。この場合、落札後に正確な中国語の文字を記載した中国語訳文を交付いたします。詩集 思弁の苑 山之口獏 佐藤春夫・金子光晴序文。
左の写真が「源氏物語」橋姫の巻の末尾(原本番号38-B)の押印。@1932年 満洲国 写真帖 初版 検索: 支那 上海事変 中華民国 軍閥 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 地図 関東軍。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。経世指針 鉄烈奇談 フェネロン/伊澤信三郎訳。冬姫は内大臣・通誠の養女。詩文集 誕生日 林修平(林富士馬)。
冬姫は通称。雨夜のともし火(燈火) 湯浅元禎。正式な名は伊達貞子。井上士朗画 三輪月底句画賛扇面幅 井上士朗 三輪月底。左端の写真は「橋姫の巻」末尾の拡大写真。尾崎喜八草稿 かびれ俳句 冬木原 尾崎喜八。
上の篆書体は、「「半是君詩半是書」(半ばこれ君の詩、半ばこれ君の書)の押印。蘿隠集 漢詩文 全2冊 横井暮水也有著 大口金三郎編。
篆書体の左の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
写真右上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。明治11年 東京府下町村改正区郡分一覧 林吉蔵編刊。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。日本唐土二千年袖鑑 拾遺絵入天地人 3冊 歌国 鐘成他 半山画。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(橋姫の巻)MRI 45―33B
自筆二つの印のうち上は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款。アラワシ (児童書 絵本 漫画本) 渡辺哲夫作 安井小彌太画。
「源氏物語」「橋姫の巻」主人公・橋姫の資料
下記写真は、国宝「源氏物語絵巻」の中に描かれる大君・中の君の姫君と薫の君。纂図附音増広古註千字文 李邏。
「源氏物語絵巻 」橋姫(国宝)琵琶を前にする中の君(左端)と、
琵琶を横に置く大君。金子薫園短冊 青きりの 金子薫園。邸の外から二人の姫君を眺めるのが薫の君(右端)
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。尾崎喜八草稿 ヘルマン・ヘッセ 画と随想の本 尾崎喜八(無署名)。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行
源氏物語「橋姫」原本に記されております。与謝野晶子歌まくり おどけたる… 与謝野晶子。紫式部が「橋姫」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「橋姫の巻」を書いていることがわかります。加賀孝一郎水彩画 加賀孝一郎。この原詩の言葉の引用は、「橋姫の巻」に用いられていることで広く知られている。太宰治の作品とそのモデル 岸金剛。紫式部がこの原詩に親しんでいたと推定されている。趣味の版画 伊豆倉大人形集 山下関一編。
「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)の漢詩文の落款が押捺されている。名臣言行録 前後集 合本3冊 宋朱晦菴先生 朱熹撰。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。腰越浜歩き 芹沢銈介。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。江分利満氏の優雅な生活 直木賞 山口瞳。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。蝗の大旅行 佐藤春夫。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。土方泰山伯伊東元帥画賛幅 兵可用酒可呑 土方久元・伊東祐亨。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。伊藤観魚書幅 金剛摩尼華 伊藤観魚(八田道人書き)。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。十年 佐藤春夫他編 岸田劉生装幀。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。西春日井郡安井村全図 稲垣氏所蔵同捺印。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。世界名作探偵 20 透明人間 ウエルズ 海野十三。撮影後、展示のために再表装をしております。瀧井孝作句幅 朝顔の句 瀧井孝作。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。森村宜稲画幅 鶉 森村宜稲。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。明星画譜 全12葉 与謝野寛編 伊上凡骨刻。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。小早川清画幅 初かり 小早川清。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。奥羽道中膝栗毛 五篇各上中下巻揃 十返舎一九著。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。白描 十二支及び十二神将図像。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。近江国細見図 山下重政。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。水原秋桜子句幅 花の雨 水原秋桜子。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。朝の影 広津和郎。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。地熱 渾大防小平。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。0406か6■和本■詩経名物辨解【享保16年/7巻3冊揃/虫損/シミ】京師書林【ゆ60】。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。第6回追悼会 憂国忌 ポスター2種 2枚他 憂国忌実行委員会。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。太田水穂色紙・井上康文色紙貼り合わせ幅 太田水穂 井上康文。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。三島由紀夫自選集 限定版 署名入り 三島由紀夫。母は後水尾天皇皇女女二宮。大鎧着初式 市岡太次郎。実母は近衛家女房(瑤林院)。女人散らし書き A。幼名は多治丸。@1916年 擁護共和 紀章 雲南 都督府 検索: 支那 中華民国 北洋 軍政府 軍閥 唐継尭 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 五色旗 孫文 国民党 生写真 督軍。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。越後国大絵図 (仮題) 絵師版元など不明。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。赤復得楽帖 ◆貴重 /古書画。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。膳城烈士遺稿・膳城烈士伝 計2点 永元原蔵編。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。紡錘 山中智恵子。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。夢を描く 尾崎久弥(尾崎楓水)。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。高浜虚子句幅 秋の雲 高浜虚子。
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